Prison |
初夏の出来事だった。 定例会議でいつもよりも早く終わった学校からの帰り道、ビリーは初夏の美しい風景を見て、改めて感動していた。 街路樹の爽やかな緑も、夏らしい青い空も。あの白い雲も。街の色合いも。 ・・・なんて美しいのだろう。 白い半袖のシャツに、チェックのズボンというありふれた制服は全国的にレベルの高い進学校のものだった。 髪は短く切りそろえられ清潔そうで、その身だしなみも乱れていることはなく清潔そうで。 誰が見ても「優等生」といわれるような格好をしていた。 特筆する点があれば、白い肌。それにその端整な顔立ち。 黙っていても絵になる少年だったが、黙っているときは今晩の夕食を考えていたり、ただぼーっとしているだけだったり・・・顔が良いのは得なことだ。 ただビリーは普通の少年だった。勉強もするし、体を動かすことも好きで、友達も何人かいる。 両親と溺愛している妹は、父の仕事の関係で海外に出張していることをのぞけばいたって普通の少年だった。 今日の晩ご飯、何にしようかな・・・。お昼は友達とファーストフード食べてきたからいいけど。 掃除もしたいし・・・でも時間があるから手の込んだものでも作ろうかな。・・・1人しかいないから、そんなに量は作れないけど・・・ああ、やっぱり家族全員いた方が料理するの、面白かったな・・・。 そう思いながら信号を見上げて立ち止まる。 なんてことはない、交差点だった。 「・・・あ」 妙に気になるモノを見つけてしまった。 交差点の向こう・・・とても目立つ人。 日に焼けた肌に、豪奢な長い金髪。 身長も高いし、ここからだとよくわからないけれども・・・背筋は良いし、多分よく鍛えているのだろう。 なんていうのだろう。 とても男らしくて、格好良くて。 思わず見ほれてしまった。 「・・・僕もああいう人になりたいなあ」 色白女顔コンプレックスのビリーは夏なのに黒いスーツを着ているその青年を見て溜息をついた。 二十歳くらいだろうか。 あ、目の色が綺麗。 「・・・」 いいなあ。 信号の色が青にかわる。 ・・・帰ったら何しよう。 そう考えて歩いていたら誰かと肩がぶつかってしまった。 考え事をしていたのでおおげさに慌ててしまったのがまずかった。 「大丈夫か?」 「え・・・あ・・・」 肩をぶつかったのは先ほどまで見ほれていた青年だった。 「あ、ごめんなさい。大丈夫ですから・・・」 「ん、そっか」 「・・・さ、さようなら」 ・・・ああああ・・・無様だ。 ・・・何をしていたんだ、僕は。 駅から歩いて十分。住宅地に入り、一軒家に帰る。 郵便受けにはなにもなく、鍵を使って家に入る。 「・・・」 冷蔵庫から水を出して、一気にグラスに注いで飲む。 夏、だな。 窓の外の空は憎々しいほど晴れ上がっていた。 そう、そんなことがあった。 ビリーは目をぱちりと開け、何故かそんなことを思いだした。 なんでそんなことを思い出した?・・・別に、別に・・・どうでもいいこと。 なんでだろう。 上体を起こす。 「・・・あれ?」 え!? 慌てて自分の姿を見下ろす。 今日は終業式だったはず。なのに、どうして僕は寝ているんだろう・・・しかもここ、何処!? 部屋を見渡してみる。 部屋はとても広く、巨大な硝子の窓が特徴的だ。 陽光が降り注ぎとても明るい部屋で、ビリーが寝ていたベッドはクイーンサイズくらいの大きなもので、真鍮の飾りがこれまた細やかな・・・。 どこなんだろう、ここ。 「・・・えええ?」 やばい、とっても高そうなベッドだ! ベッドから慌てて降りてきょろきょろとする。 ・・・倒れて病院ってわけでもないみたいだし・・・な、な、なに!? まさか誘拐・・・にしても、こういう豪華なところに拘束もなしに人質をほっぽっておくだろうか。 わからない! な、なんなんだ一体!! 「・・・そうだ、窓・・・」 窓の外の景色を見れば解るかも知れない。 窓の外は・・・緑の芝生が見えた。 その向こうに、頑丈そうな門。 何処かのお屋敷の中みたいだけど、これって・・・一体・・・? 「・・・なななななな・・・!?」 落ち着け。 落ち着くんだ僕。 ・・・まさか眠かったから人の家に入り込んで寝ていたって事はないだろう。警備も厳重そうなのに。 そしてこんな大豪邸を持っている友達なんかいない! ・・・うん。 じゃあどうして僕はここにいるのー!? ・・・あ、そうだ。 扉があるじゃないか! あそこを出て家の人に謝ろう!謝れば許してくれるはずだ!うん!! 謝る理由も思い浮かばないのにビリーは決めたら突っ走る。 扉に手をかけて、ノブをまわして、あけ・・・られない。 がちゃがちゃいってあかない。 「・・・ええ!?」 扉の外から何か物音がするが、ビリーはそれどころではない。 お化け屋敷だ。 僕はお化け屋敷に閉じこめられたんだ。 そしてこれから七日間にわたるホラーに関わるんだ。 昔このお屋敷に住んでいた人の呪いで・・・!! 今流行っているホラー映画のあらすじと自分の状況を思い出してビリーはぐるぐると混乱していた。 どうしよう!呪い殺される!! あああ・・・。 へなへなと扉の前に座り込む。 僕はどうやって呪い殺されるだろう・・・。 ガチャリ。 扉の開いた音。 ビリーは見上げた。 「・・・あ・・・なんで・・・?」 「目覚めた?」 楽しそうに笑うその人は、この前交差点であったその人だった。 「・・・っていうか、君誰」 「バルトってよんでいいぜ」 「・・・っていうかここ何処」 「俺の家の、部屋」 「どうして君の家に僕がいるの」 「え?だってそりゃ・・・お前が俺のもんだから」 「僕は君のものだったのか・・・?って!ぜんっぜんわけがわからない!!」 野性味あふれるバルトの笑顔にビリーは追いつめられていた。 「君はバカか!何を変なこと・・・」 「だから、お前が俺を気に入って、誘拐してここに運んできたって事だよ」 「・・・はぁ?・・・わ、わけわかんないんだけど。君頭おかしいの?病院までつきそってあげようか?」 「でもこの病はなおせない」 「大丈夫だよ。がんばれば治せるよ」 「恋の病はなおせない」 「・・・あー、早く夢さめないかなあ」 「これは現実だ」 ビリーはとりあえず立ってみた。 目の前の人物の顔を見上げて背伸びして、頬をつねる。 「いてぇ」 「・・・げんじつ?」 「そ、現実」 「・・・」 僕は、夢を、見ている。 そうじゃないとおかしい。 ビリーは意識を手放した。 「お前よくたおれるな」 「ギャーー!!」 目が覚めたら夢の中で見たバルトがいた。 「き、君は何がしたいの!」 「なにって・・・」 「僕を誘拐して監禁してどうするつもりだ!!うちには、お金ないんだから!!・・・へ、へそくりならあるけどこの前の洗濯機の修理代で結構とんだんだから・・・!!」 「・・・だから、一目惚れだったんだ」 「・・・洗濯機に?」 「お前に!」 僕に一目惚れって、なにそれ。 ビリーは大きく目を開けて真剣に自分の顔をのぞきこむバルトを見た。 男らしい顔。いいなあ。 ・・・それにしても変な夢だ。 なんで男から告白を受けなければならないのだろう。 高校でもそういうことはよくあった。ラブレターに、呼び出し。 ・・・でも、ここまで強引なのはやっぱり夢なのだろう。 「交差点で、肩ぶつかったとき・・・ああ、チクショウ!惚れちまったんだよ!美人で色白でかわいくってさあ。・・・色々しらべたんだぜ?お前のこと。・・・んで、夏休み入ったし誘拐しようと」 「・・・」 「でもお前さらってきてよかった。こんなに可愛いんだ。いつ誰にとられるかわかりゃしねぇ」 「・・・」 「だから、よろしく」 「ななななな、なにがよろしくだこの痴れ者が!!」 「だから、これから、俺達ラブラブでイチャイチャになるんだよ」 「君の汚らわしい妄想なんて聴いてない!夢の神様早く僕を起こして・・・!」 「こら、錯乱すんなよ!」 「貴様にいわれたくない!!」 暴れ出したビリーの言動は滅茶苦茶なものだったが、涙目で不安そうに自分を見上げるビリーが可愛かったから抱きしめてみた。 「な、なにをするー!?」 「なにって・・・可愛いから抱きしめてみた」 「・・・ね、ねえ。僕男だけど」 「それがどうした。俺は気にしない」 「・・・もしかしてこれ現実?」 「そういうこと」 「・・・うそだぁ」 こんな、馬鹿げた現実があるか! あるのか! あったのか! 「・・・ありえない・・・!」 「だが俺にも男のプライドがある」 「・・・!」 そうだ。 ・・・これが現実で、こんな豪邸に住んでいるバルトが自分を気に入って誘拐して、監禁して。 「・・・睨むなよ。だから・・・お前の嫌がることはしない。無理矢理襲ったりしない。触らない。キスもしない。でも・・・寝顔くらいは見させろ」 「・・・え?」 てっきり襲われるかと思ったビリーは思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。 「お前が好きになるまで待つ」 「・・・僕が君を好きになるとでも?・・・っていうか、こういうこと事態が既に僕にとって不利なんだけど」 「仕方ない」 「なにが!」 「俺は気にしない」 「僕が気にする!」 「お前はもっと俺が紳士だったことに対して感謝してもいいんだぜ?こーして捕らわれて寝ていて抵抗できないお前を襲うことも出来たんだから」 ビリーは座ったままの状態でずばばばばと勢いよく後退した。 「起きたらいきなり裸にひんむかれて、アナル調教されてたり、犯されてたりしたかもしれないんだぞ」 「君は、おかしい」 「仕方ない。恋の病はなおせない」 「死ねば治る!」 「ま、そーいうことだから!!」 ・・・悪夢だ。 僕の意志は何処にある。 またもや意識が沈む心地がした。目の前で寝てしまったらなにかされるかも知れない!・・・という思いだけでも沈む意識を救い出せなくて、ビリーは気を失った。 起きたとき、室内には誰もいなかった。 慌ててナニカされてしまったのかと確かめたが何もされた様子が無くてほっとする。 それに・・・さ、さ、さっきの言葉はなんなんだ! ビリー自身潔癖性で禁欲的だったのだが・・・よくそういう事件に巻き込まれていたのでそういう世界についての知識は仕方なく持っていた。 初対面の人間にいきなり・・・あんな言葉は、ないだろう! 屈辱で頬が赤くなり、恐怖で顔が蒼くなり、そして蒼白になる。 どうなるんだろう・・・。 バルトは、ただのバカなのだろうか・・・。 こんなお屋敷、知らない・・・。 彼は誰なのだろう。 少なくても人1人を監禁しようと思ってすぐに実行のできる人物。素行調査などもしていたみたいだから、そういうことにお金が使える・・・でも彼はまだ若い。 二十歳前後じゃないだろうか? 威風堂々としていたし、妙な凄みを感じるし・・・。 ・・・こんなところにいたくない。 ビリーはか弱そうな外見に見えて好戦的な少年だった。勿論ただ好戦的なだけではなく、引き際や本当に対峙してい良い相手なのか見極める目と客観性は持っている。 だが、時に無謀な賭けに出ることもある。 ある意味で非常に男らしい性格をしていた。 落ち着け。 ビリーは目を閉じる。 こんなところにはいたくない。なら・・・どうやって出る? 現在位置は何処だろう・・・。ああ、お金を持っていない・・・いざとなれば交番で帰りの電車代貸して貰おう。・・・でも、鍵無いから家に帰れないんじゃないだろうか。 ・・・いざとなれば窓硝子を壊せばいい。 でもどうやって修理を・・・。うん、電話だ。電話で銀行にお金を振り込んで貰おう。 でもまって。 あいつら素行調査でとっくのとおに自分の家を見つけだしている。 ・・・あの家は危険だ。 だからといって親父の所に転がり込むにはお金がいるし・・・どれだけの組織なんだろう。 落ち着け。 考えれば考えるほどに脱出は不可能なんて思っちゃ駄目だ。 希望はあるんだ。 努力と根性で世の中結構うまくいけるんだ! ・・・だから、泣くな。 「・・・」 拳を握りしめる。 拉致?監禁?・・・誰が大人しく捕らわれてやるか! 監禁されているので、鍵は内側から開かないようになっているのは仕方ない。 ・・・窓。 大きな窓硝子。 作戦決行は夜にしよう。部屋に置いてある椅子で窓を割り、それまでに結んでおいたカーテンを使って降りて・・・あの頑丈な門だってなんとかなる。 そうだ。 門の向こうに僕の靴でも投げておけばあの門は開けるだろう。 それに・・・門の周りには木がある。 少し離れているけれどもあれは・・・あの上に登れば・・・。でも、脱走するんだから目立つ。目だった上に靴を投げて自分が外に出たと錯覚させて、うまく門を開いたとして・・・。 作戦を立て直そう。 「・・・」 無理じゃないのかなあ。 ビリーが静かに諦めかけた時、控えめなノックが聞こえた後扉が開いた。 「すいません、食事です」 「あ、あの!」 何処か気弱そうな、入室してきた青年の顔を見てビリーは思わず声をかけてしまった。 何かを聞き出せるかも知れない。今手に入っている情報は絶望的に少ない。・・・少しでも、何かを・・・! 「ごめんなさいっす!口きいちゃだめなんです!!若の嫉妬が・・・!!」 「ま、まって!」 「失礼しました!!」 「ああ!!」 鍵がかけられた音が聞こえて、ビリーはへなへなと崩れ落ちた。 ・・・駄目だった。 とりあえず、食事といわれて運ばれてきたものに目を向ける。 美しく飾られた、無駄に豪華な台車の上に、銀の蓋がのせられている。 それをとる。 「・・・」 思わず、見入ってしまった。 盛りつけも美しい、これは・・・なんだろう?何かのパテ。前菜だろう。 次ぎにやっぱり盛りつけも美しい小さいお皿に載った細いパスタ。・・・トマトのフェデリーニ?盛りつけからいって、夏らしく冷製みたいだ。 そしてメインは子羊のチョップ、オレンジソースがけ? デザートにはラズベリーソースの真ん中に鎮座するマカロンだ。マカロンの中にはラズベリーが入っているのが見える。 「・・・え?」 レストランに行かなければお目にかかれないような見事な盛りつけ。 子羊のチョップ、恐らくオレンジソースがけなんてつけあわせの野菜までも美しく飾られている。 「・・・た、たべていいのかな・・・でも」 そういえばお腹が空いていた。 「だいじょぶ・・・だよね?」 ビリーは台車をころころと押して、部屋においてあるテーブルまで移動してそこからお皿をうつした。 全部のせてもまだテーブルの面積はあまっていたが・・・やっぱりレストラン風に一皿ずつ食べようと思う。 「い・・・いただきます」 パテは美味しかったけど・・・ちょっと夏には濃いかな。 トマトの冷製パスタは美味しかった。アクセントのバジルも美味しい。 子羊も美味しかったけれども・・・塩胡椒だけでも美味しいと思う。 デザートは美味しかった。 「・・・ご、ごちそうさま?」 そして食器を台車の上において、ころころと扉の付近まで押していく。 なんていう御馳走を出してくれるのだろう。・・・あ、だめ。餌付けされちゃだめだ! それに僕は今猛烈に味噌汁が愛しいじゃないか!・・・豚汁もいいなあ。ナメコ汁もいいね。明日の朝は納豆食べたいなあ・・・。 わけのわからない、今の状況。 いつどうなるかわからない。 豪華でとても美味しい料理をぽんっとだしてくれるような、そういう所。 「何処かのお金持ちなのかな・・・」 だとしたら相当やばいんじゃないだろうか。 逃げられるのだろうか。 貞操を守れるだろうか。 ・・・どうなるだろう。 考えたくないけれども、現実はきっとすぐそこまで差し迫ってきているから・・・考えなくちゃいけないけれども、一体何を考えればいいのだろう。 悪い未来しか思い浮かばない。 良い未来を思いつくのは至難の業だった。 僕にできることはあるのだろうか。 あ、食事を食べないと言うストライキも・・・だめだ!食べ物は、食べられるうちに、食べないと! 自分の貧乏性を呪う。 「・・・とにかく、逃げよう」 そう心に誓った。 「バスルーム・・・」 部屋には立派なバスルームがついていた。 硝子張りのシャワールームに、大きな白い浴槽。 洗面台の鏡も大きいしよく磨かれている。 歯ブラシもちゃんとあるし、くしだって、ローションだって、色々なものがある。 整髪剤だってあるし、シャンプーやリンスとかも色々あった。 「・・・僕のためにってこと?・・・そんなばかな」 でも・・・着替えがない。 一日に一度はシャワーを浴びたいビリーは、すぐにでもシャワーを浴びたかった。 部屋に戻りクローゼットを開ける。 「・・・」 思わず絶句する。そこには、服がいっぱいあった。スーツとか、ジャケットとか。 ズボンも色々種類があったりして。 箪笥をあける。 色々な服が入っている。 ご丁寧に色々な種類の下着まであった。 トランクスなんか、もう絶対に悪趣味としかいいようのない「食虫植物柄」があったりした。 「ありえない・・・」 バスローブはすぐにみつかったけれども・・・ありえない。 本気でありえない。 ・・・やばい。 でも・・・このなかからどれか身に付けないといけないし。 ビリーは失意のどん底の中、着換えてそのまま寝ることになった。 「・・・ううう」 見慣れない天井。 昨日着て寝た、白いシンプルな寝間着。・・・無駄に豪華な部屋。 とりあえず洗面所に行き歯磨きをして顔を洗い、髪をとかして・・・。 クローゼットの前にたって、できるだけシンプルな格好をすることにしたけれども。 服は相当高いものばかりなのだろう。手触りが良いし、ラインも美しく、安物にはないような繊細な飾りのついているものもある。 「・・・うわあ、模様ついてるジーンズだ。・・・わー、このズボンも高そう・・・だけど、これでいっか」 シンプルなズボンに、白いシャツ。 地味な格好で落ち着いてみた。 「・・・」 無駄にシャツとズボンの手触りがよくてどうしよう。 ベッドの端に座りながらぐるぐるとそう考えている。 「朝ご飯だぞー」 前置きもなく、バルトがトレーを持って入ってきた。 「うわあ!」 そしてすたすたと机の上にトレーを置くと扉を閉めた。・・・あ、今のうちに逃げれば良かったんだ! 「な、何をするんだよ!」 「朝食食べようぜ」 バルトは今日も黒いスーツを着ていた。 そして、悪戯そうに笑う。 「・・・食べたくない」 「食べろよ。朝食食べるとほら、色々いいんだぞ」 パンの盛り合わせに、ジャムが数種類とバター。 クラコットに何種類かのチーズ。 ヨーグルト。フレッシュフルーツの盛り合わせ。 小さいカップに盛られたヴィシソワーズに・・・ティーポットとティーカップ。 結構色々ある。 「ほれ」 「・・・」 お、美味しそう。 現金な自分のお腹に呆れるけど・・・でも。 「・・・たべない」 焼きたてのパンの、良い匂い。甘いバターの香りに香ばしい小麦粉の香り。 ・・・ついつい誘惑されたくなるけれども。 「ほーら。パンがいやだったらチーズもあるし。食欲ないならヨーグルトあるし。・・・ああ、オレンジジュースとかあればよかったな」 「・・・どうして自分を誘拐した人間と一緒にごはんを食べられると思ってるんだよ!」 「俺は誘拐していない。計画を練っただけだ」 「・・・」 こいつは・・・! 「・・・俺と一緒じゃ、食べられない?」 ビリーはうんともすんともいわなかったけれどもバルトは立ちあがった。 「じゃ食べるんだぞ」 「・・・え?」 「だって、俺がいると食べられないんだろ。俺がお前と一緒にいたいって思うより・・・お前が元気な方が俺は嬉しいから。嬉しいんだ。名残惜しくなんてないんだ、本当だ。マジだ」 「・・・」 「・・・とにかく、食べろよ!」 バルトは出ていってしまった。 何処まで彼の言葉が真実なのか解らないけれども、昨日の爆弾発言も凄く驚いたけれども。 ・・・悪い奴じゃ・・・ないんだろうか。 でも自分を誘拐して・・・あ、あんなこというし! わけわからないよ。 残すのは勿体ないから・・・ビリーは自分が食べれる分量だけ、朝ご飯を食べた。 とても美味しかった。 「・・・プレゼント」 「・・・」 部屋の中にある本棚から取りだした「世界名作全集」という本を読んでいたビリーはお昼を過ぎた後の突然のバルトの来訪に開いた口が塞がらなくなった。 薔薇の花束。 どれも大輪で、どれも美しい・・・そんな豪華な薔薇。 それを両手でもつのがやっとというくらいの花束をもってバルトはビリーの部屋に入ってきた。 「薔薇は情熱の花だ。そして愛の花だ」 「・・・」 お、男に花束・・・? こいつ、わけわからない。 ビリーは引いていた。かるく引いていた。 「ああ、やっぱりお前には薔薇が似合うなあ・・・。おっと、時間だ。じゃな!!」 本当に・・・僕はどうなってしまうのだろう。 そしてまた脱走の機会をなくしたことに気付いたビリーはベッドに崩れ落ちた。 そういう生活が一週間続いた頃にはビリーはこの状況に慣れ始めていた。 部屋に閉じこめられ、豪華な食事が運ばれてきて、たまーにバルトがやってくる。 変なことはされないし、何をやるにも強制はされないけれども・・・ただ、出られないだけ。あの扉の外に。 ここがどこで、バルトはどんな人物なのか全然解らない。 「・・・ビリー様、やっぱり少し食事残してるなあ」 「ああ。寝起きだったんだ」 「寝起き?」 「ベッドで寝てた」 「・・・ああ」 台車をころころと転がしてきた給仕係りになった男は同量の男と会話をしていた。 どうやらビリーの話題らしい。 「しかし、綺麗な人だなあ。・・・若が誘拐してきたのも解るよ」 「でも・・・あと一週間くらいすればメイソン卿がかえってくるんだぜ。人を誘拐して閉じこめて・・・うわあ、絶対俺達怒られるよ」 「それにビリー様真面目そうだものなあ。すっごい怒られるだろうなあ」 はあ。 二人が溜息をついたとき、ビリーに会えるとあって上機嫌なバルトが角から現れた。 「あ、お前ら!」 「ああ、若!」 「ビリーの様子は?」 「今寝起きみたいです」 「寝起き?今昼だろ」 「寝ていたみたいです」 「・・・おまえ、寝顔見たのか」 「い、いえ!自分はその・・・起きたての無防備の顔を・・・!」 バルトは憎々しげに男を見つめていたが「まあ不可抗力だもんな。俺もいつかみよう」といって目をそらした。そして台車の上においてある皿を見る。 「寝起きだからあまり食べられなかったみたいで」 「・・・あいつの嫌いなものって、なんかあるのか?」 「ニンジン以外は大丈夫みたいです。ニンジンだけ避けられてましたから今はもうだしてないです」 「へえ。ニンジンねえ」 「それでは失礼します」 「ああ」 バルトはノックした後ビリーの部屋の扉を開けた。 ビリーはバルトの顔を見てむすっとする。 「よ!今日も可愛いな!」 「ねえ、馬鹿なこといってないでいい加減僕を家に帰して」 少しこの状況に慣れたビリーは早速バルトにそう主張してみる。 「なにいってんだよ」 「・・・」 だんだんと、人が恋しくなる。 自分の声を聞くのも久しぶりで。まだここにきてから一週間ほどしかたっていないのに。 ・・・自分を誘拐し、監禁したバルトの来訪が・・・バルトとの会話がこんなに待ち遠しいだなんて。絶対に人が恋しいからに違いない。 ビリーはそう自分の感情を決めつけた。 「・・・なんか、不満なのか?」 「不満も、なにも!いきなりこんなところに見ず知らずの人間に閉じこめられて・・・出たくないって思わないわけ?」 「だってなあ」 「だってって、なんだよ!」 「俺のこと好きになれよ早く」 「何阿呆なこといってるわけ!・・・それに、食事だって・・・味噌汁とか飲みたいし」 ここでだされる料理はどれも贅を尽くされたものばかり。ビリーの健康を思いやってか、油っぽい料理ばかりではなくさっぱりとした料理も出されているけれども。 庶民的なものがなくて、ビリーはそれが恋しかった。 「・・・味噌汁?」 「白米とか、梅干しとか、漬け物とか、味噌汁とか、海苔とか・・・納豆とか・・・」 食べたい。 ついつい口からそんな言葉を出してしまった。 「わぁった。厨房に伝えとく」 「・・・だしてくれるのは、だめ?」 「そんな可愛い上目遣いで聞かれると余計だしたくなくなるの」 「・・・」 ビリーはじりじりとバルトから逃げるようにゆっくりと後退した。 でもそんな動作を・・・今まで見逃してきたバルトだけれども、今日は見逃してくれなかった。 ビリーの手首を壁に押しつける。 「な、なにす・・・!」 じっと顔を見つめられる。 男らしい顔立ち。 精悍さのなかにも、上品な美しさもある。 印象的な青い瞳。意志の強そうな青い瞳。あ・・・魅入られそう。 「・・・キス、したくなるだろ?」 「・・・わ、わあ!馬鹿!!」 「暴れるなよ」 「あ、暴れるよそんなこといわれたら!!」 「・・・まあ、まだ・・・待つから」 解放される。 ビリーはバルトから身を守るように、自分自身を抱きしめた。 「・・・今日はもう忙しいから、明日来る」 自分のことが好きだというのに、決して無理矢理してこないバルトの後ろ姿。 ビリーは激しくかぶりをふった。 「・・・朝ご飯にちゃんとごはんとあじの開きとつけもの出してもらった。ありがとう」 ぶすっとしながらもとりあえず礼を言ったビリーはその後部屋に入ってきたバルトから視線をはずした。 「他にご要望は?」 「・・・だして」 「・・・駄目」 「・・・やだよ・・・だって、君としかまともに会話してないんだよ?」 「ビリー?」 「やだよ。君との会話が楽しみだなんて!」 ビリーは墓穴掘りの達人だった。 バルトはその言葉を聞いて、とっても嬉しそうに笑って有無を言わさずビリーを抱きしめた。 「ああ、なんかうれしい!」 「何が嬉しいんだよ!」 「・・・でもそりゃちょっと寂しいか」 最初にあったとき、思わず見ほれた引き締まった体躯。 抱きしめられてどきどきしてしまう。 あああ、僕はなにどきどきしているんだ!と思うものの、どきどきを消せるわけでもない。ビリーは必死で赤い顔を隠そうと、そしてこの胸の激しい鼓動を聞こえないようにバルトの胸板を押してうつむきながらベッドの上を後退した。 「な、な、何をする!この痴れ者が!!」 「・・・顔、赤いぞ」 「なっ!!」 「でも、とにかく・・・まあここにも慣れてきたし。そうだな。・・・散歩くらいは許す」 「ゆ、許すってなんだよ」 「ただしうち、危険物とかあるから立入禁止の場所とかあるからな。・・・じゃ、いくか」 「・・・え?」 バルトに手を引っ張られて、扉を開けて。 廊下もやっぱり部屋と同じように豪華だった。 「あ、ビリー様を連れて散歩ですかあ?」 「ああ」 「・・・散歩ついでに家に帰してよ」 「だーめ」 赤い絨毯を踏みしめて屋敷を歩く。 「あ、若。お疲れさまです」 道行く人々が皆バルトに頭を下げていく。 なんか・・・皆男の人で・・・なんだか、強面で・・・。何故かスーツを着ていたりして・・・。 あ、ありえない。 そんなわけないじゃない。 そしたら絶体絶命だよ。 中庭に出てビリーは思わず感嘆の溜息をついた。 広い中庭。・・・まるで何処かのお城の中みたい。 「ひ・・・広い、庭・・・」 「そりゃここ郊外だから。・・・っていうかここ、昔の領主の城だったっけ。そーゆーところだから」 「・・・え?」 「まあ珍しいよなあ。マフィアが城を根城にしてるだなんて」 「・・・ま、マフィア?」 バルトは思わず立ち止まってビリーの顔を見た。 「そういやいってなかったっけ。うん。マフィア」 「・・・き、君が!?」 「ああ。ファティマっていう・・・」 「・・・!!」 まさか、まさか本当にマフィアだっただなんて! ちょ、ちょっと・・・ええ!? 「っていっても、ファティマ家は由緒正しい昔ながらのマフィアでだな、麻薬とかはやってないの」 「・・・」 「ああ、ビリー。お前は本当に可愛いなあ」 ま、ま・・・マフィア。 に・・・にげたら売られる! 売られる腎臓! ああ・・・腎臓・・・!! ビリーは既に混乱状態で何を考えているのかよくわからなくなってしまったが、とにかく腎臓が大事だと言うことは再確認できたらしい。 「・・・お前、早く俺のこと好きになってくれ」 今までにない熱っぽい瞳。 見つめられるとうっとりする。 ・・・はっ!いけない!! 「ば、ばか!そんなにみつめないでよ!!」 どうしよう。 どうしよう。 僕。 ・・・バルトのこと、好きに・・・なりかけてる? 傍若無人で、何考えてるのかよくわからなくて、我が儘で、傲慢で、わけわからなくて! だのに、だのに・・・! ビリーは絶望した。 自分の趣味に。 「・・・」 なんでだろ。なーんで、どきどきしちゃうんだろ。 ・・・人間って危機的状況で出会った相手を恋に落ちたと錯覚うんたらかんたらとか言われているけれども。 これもそうなんじゃないかな。 瞼を閉じる。 精悍な顔。引き締まった体躯。・・・抱きしめられて、その時に触れた彼の体。 逞しかった。 ただ、それは、憧憬だ。 うん。憧憬だ。 好きってわけはないんだ。あんな人になりたいんだ。内面は勘弁だけれども。 うん・・・そうなんだ。 ビリーはとぼとぼと扉に歩いていく。 「・・・あの、散歩にでたいんですけど」 「あ、どうぞ。護衛します」 「・・・はあ」 散歩も護衛付きだ。 「もう少しこちらに慣れていただければ護衛もつかないようになると思いますから・・・すみません」 「いえ、貴方が謝ることではないと思います。・・・いつも、食事運んでくださる方ですね?」 「は、はい」 「・・・いつもありがとうございます」 「い、いえ、こちらこそ!!」 そしてビリーは苦笑した。 「・・・護衛、お願いします」 「はいぃ!!」 「だーいぶ慣れたな」 「・・・」 夕食の時間。いつもの時間。台車で運ばれてくる料理が何故か二人分。 目の前に嬉しそうなバルト。 黙っていれば、格好良いのに。・・・女の人がほっとかないんじゃないのかな。なんで自分を誘拐して拉致監禁しているんだろう。もっと素敵な人いっぱいいるだろうに。・・・わけわからない。 「今日は、ビリーの好きなバルサミコのサラダに、バルサミコソースの豚のソテー、つけあわせにパンが二種類。そんでポテトのオーブン焼きローズマリーの香り付きがあって・・・で、最後のデザートはオレンジのムースだ」 「・・・あいっかわらず・・・フルコースみたい」 「フルコースならもっと品目あるってば」 「・・・」 ここにいたら口がおごっちゃうよ。 「じゃサラダからどーぞ」 やっぱり二人対面して食べるらしい。 「バルサミコのサラダ、好きだろ」 「うん・・・でもバルサミコソースの豚のソテーも一緒なのは・・・」 「お前がバルサミコのサラダ好きだからそうしてもらった」 「・・・僕、ピーマンのドレッシングも好きだよ。シーザーサラダも好きだし・・・」 「そうなのか」 それにしても・・・サラダは美味しかった。 「んじゃ次ぎ。パンと・・・ああ、もうデザート以外のっけちゃえ」 「・・・」 料理はどれも美味しかった。特に熱いポテトが美味しかった。 ああ、だめ。 口が奢っちゃう。 最後のデザートもまた美味しくて。 「ごちそーさまぁー」 「・・・毎日こんな御馳走なの?」 「え?・・・そうでもないぜ」 「どういうこと?」 「俺は適当に食べてる。ファーストフードとかも好きだし」 「・・・じゃあなんで僕ばっかり」 「なにって、お前が俺の大切な人だからだ」 「真顔で寝言ほざくのやめてよ。・・・それに、僕は・・・こういう料理も美味しいけど、庶民的な料理の方が懐かしい」 「例えば?」 「・・・鳥の唐揚げとか、焼き魚とか、鯖の味噌煮も好きだよ。・・・他にも、色々あるよ」 「・・・そういうのの方が、いい?」 「これもとても美味しいけどね。・・・どっちかっていうと自分で作りたいかな。久しぶりに」 「自分で作るんだ?」 「うん」 ビリーの肯定に何故かバルトは楽しそうに笑っている。 一体何を思いついたのだろう。 「なに、笑って」 「いや・・・ビリーの愛妻料理食べたいなって」 「愛妻ってなんだよ!」 「愛妻だろ」 「誰が愛妻だ!」 「お前」 じょうだん、いわないで。 君から好かれるほど僕は魅力的だろうか。 それに・・・なんで僕は、その言葉に・・・こんなに喜んでいるのだろう。 やだ、やだ、やだ。 ・・・やだ。 「ビリー?」 「・・・ごちそうさま」 やばい。 どうしよう。 バルトのことが好きらしい。 ああ、ああ何故腎臓・・・なんでなの腎臓・・・。 バルトが去っていった部屋、ビリーは何故か腎臓に語りかけていた。大分混乱しているらしい。 「・・・」 駄目、ここが居心地よくなってきた。 おかしい。 変だよそんなの・・・どうしよう、腎臓。 とりあえず・・・と、ビリーは立ち上がってクローゼットに向かった。今は散歩している間に部屋の掃除とか、洗濯物の収納とかしてくれるようになったけれども。 ・・・そういえば掃除も洗濯もあんまりしてないなあ。 タオルはバスルームにあるからいいとして、もう寝間着に着替えるかとシンプルなデザインの寝間着をとった。他にも必要な衣類をとってバスルームに向かう。 「・・・ねえ、本当にどうしよう・・・」 真夜中。 誰もが寝静まっている時間。 バルトは廊下を歩いていた。・・・そしてこっそりとビリーの部屋の前に立つ。 もうこんな時間、見張りはいない。 ・・・持っていた鍵を、鍵穴に差し込む。 きーっと扉が開いた。 光源は窓の外の星空と月光だけ。 ベッドで寝ているビリーに近づく。 そして、前髪をかきあげた。 「・・・おやすみ、ビリー」 >>NEXT |